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津島原発訴訟弁護団

「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」

「ふるさとを返せ 津島原発訴訟」は、平成23年3月11日の福島第一原発事故に伴う放射能汚染によって「ふるさと」を追われた、浪江町津島地区の住民による集団訴訟です。

津島地区の住民は、代々培われてきた伝統芸能や先祖が切り拓いた土地を承継しながら、地区住民がひとつの家族のように一体となって、豊かな自然と共に生活してきました。ところが、津島地区は、現在もなお放射線量の高い帰還困難区域と指定され、地区全域が人の住めない状況となっています。

津島地区の住民は、いつかはふるさとに帰れると信じながらも、いつになれば帰れるか分からないまま、放置されて荒廃していく「ふるさと」のことを、遠く避難している仮住まいから想う日々です。国及び東京電力は、広範囲の地域の放射能汚染という重大事故を起こしておきながら、原発事故に対する責任に正面から向き合おうとしません。

国及び東京電力のこのような姿勢に堪えかねた津島地区住民の約半数となる約230世帯700名の住民が立ち上がり、平成27年9月29日、国及び東京電力を被告として、福島地方裁判所郡山支部に集団提訴をしました。

津島原発訴訟では、住民が「ふるさと」に帰る第一歩として、地区全域の放射線量の低下を求めるとともに、これまで「ふるさと」から切り離されてきたこと及び適切な情報提供を行わなかったことによる高濃度の放射線被曝に伴う健康不安に対する慰謝料を請求しています。

先祖から承継してきた事故前の生活を原発事故により奪われた人々は、津島地区の住民だけではありません。津島から福島、全国の被害者と連携しながら、一日でも早くふるさと「うつくしま」を取り戻せるよう訴訟内外で闘っていきます。

本訴訟並びに原告団及び弁護団に対するご支援ご声援を心よりお願い申し上げます。

代表弁護士挨拶

代表弁護士 原 和良

 

事故後、たくさんの弁護士が、被災者、避難者の法律相談活動やADRを通じた賠償請求、損害賠償の訴訟に携わってきました。他方で、従来から原発の危険性を指摘しその稼働の差し止めを求める困難な訴訟を先輩たちは市民と一緒になって取り組んできましたが、その指摘は福島の原発事故で現実のものとして立証されてしまいました。事故後、全国で原発再稼働の差し止めを求める訴訟が新たにたくさん提起されていますが、残念ながら一部の勇気ある裁判官の職を賭した判断を除き、司法の大勢は、権力に逆らわないという流れは変わっていません。

事故後のどの世論調査でも、原発エネルギーに頼るべきではない、というのが圧倒的多数なのに国の政策と電力会社の姿勢は、これに大きく逆行しています。

二度と、福島の被害を繰り返さないためには、裁判所でのたたかいだけではなく、原発依存の国の政策そのものを転換させる国民のたたかいが必要です。

私たち津島訴訟の弁護団は、住民の皆さんが立ち上げた津島原発被害の完全賠償を求める会の呼びかけに応えて結成されました。このままでは、永久に故郷に帰れないという帰還困難区域の住民のみなさんの要請を受けて私たち一人ひとりの弁護士は、この重すぎる訴訟を果たして責任をもって引き受けられるのだろうか、と誰もが一度は思い悩みました。

敵は、国、東電であり日本の権力機関そのものです。

そして、国のあり方そのものの責任を問い、政策の転換を要求する裁判です。そして、相手方に要求するのは、単なる金銭賠償ではなく、元の故郷を返せという放射線量の低減請求というとてもハードルの高い請求です。

裁判所はできないことを加害者に請求できない、現在の科学技術では山林の除染は不可能である、という俗説をどうやって打ち破っていくのか、大きな障害を乗り越えなければこの訴訟は勝てません。

私たち弁護士をこの訴訟に立ち上がらせたのは、このまま故郷が朽ちていくのを黙ってみて死んでいくことはできない、先祖代々守ってきた田畑を、故郷を自分たちの代で終わらせたという汚点を残したくない、子や孫の世代に美しい故郷があったことを伝えたい、豊かな自然と人の絆を土足で踏みにじった国、東電にしっかりと責任を取らせ謝罪をさせたい、という求める会と原告のみなさんの熱い思いでした。

それは、私たち弁護士は、何のために法律家になったのか、という法律家になった原点と初心に語り掛け、心を揺り動かすものでした。これだけの無責任な人権侵害行為に対して、これに顔を背けていては、どんなきれいごとを言っても法律家として胸を張って働くことはできないのではないか。自由と平等、民主主義が尊ばれる国にあって、この福島の被害、津島の人々の被害を救済せずして、この国は人権が保障された国とは言えない、という思いから多くの弁護士がこの訴訟を引き受けることになりました。

私は、弁護団に参加し、優れた先輩弁護士とともに4人の共同代表の一人を務めることになりました。とてもそのような重責を負えるような経験も知識も能力もありません。ただ、経験豊富な先輩弁護士と、この訴訟に熱意をもって参加してきた若い弁護士たちのつなぎ役として、先輩の英知を引継ぎ若い法律家の力を結集できるよう私なりの役割を果たせればと考えています。

この訴訟には、たくさんの若手弁護士が弁護団として参加しています。そのことは、日本の司法の未来に明るい展望を与えてくれていると心強く思っています。

2015年9月の第一次提訴行動の日、私は宣伝行動を終えた郡山の駅から決起集会の会場である郡山市民会館まで原告のみなさんと一緒にバスで移動しました。何年振りかに見る竹馬の友の姿、隣家の人の姿を見て、車内には笑い声がこだまし、お国言葉での冗談が飛び交いました。

原発事故は、コミュニティを破壊し、交換不可能な人間の日常的関わりを謝絶してしまいました。津島の人々は、人のつながりを絶たれ、見ず知らずの土地にバラバラに離散させられてしまいました。その中には、家族すらも別居を余儀なくされた人、故郷を再び見ることなく一生を終えた人も少なからずいます。苦しい避難生活の中から、この日郡山に集結してきた人たちは、久しぶりに息を吹き返したように、顔色を取り戻しているように見えたのが印象的でした。

津島のたたかいは、故郷と人間の絆を取り戻すたたかいであると同時に、団結してたたかうことそのものが、忘れがたき故郷を心に呼び戻し、絆を取り戻すものであることを実感した一コマでした。

津島の故郷は津島の人々が立ち上がることなしに取り戻すことはできません。当事者があきらめたらだれも救済することはできません。改めて、立ち上がった津島の人々の勇気に敬意を表したいと思います。

そして自分の命と人間としての尊厳が大事にする必要があるということは、同時に、またすべての人の命と尊厳も尊重されなければならない、ということにつながります。

その意味で、津島の訴訟は単に津島の住民だけの被害救済にとどまるものではありません。この理不尽な原発事故の被害で苦しむすべての被害者の救済とつながりあるものでなければなりません。また再び日本のどこかで原発事故が起これば被害者となりかねない日本国民全体の被害予防と連帯するものでなければなりません。

立ち上がった被害者は、既に被害者ではありません。すべての被害者を代表する社会的存在です。

すでに始まっているそしてこれからも続くであろう被害者の間の分断攻撃、運動の分断攻撃に対しては、お互いの被害を理解し支援しあう連帯の力で対抗していきましょう。大義は私たちにあることは、私たち自身がよくわかっていることです。粘り強く、粘り強く連帯の輪を広げれば、恐れることはありません。

すべての原発被害者の救済。すべての原発被害に対する恐怖からの解放。私は、当たり前の生活と個人の尊厳が大事にされる社会を目指す運動として、被害者のみなさん、支援者のみなさんと一緒にこの訴訟に弁護団の一人として関われていることを私は誇りに思います。